2015・6・21
ソウル
染色家、イ ビョンチャン氏にお会いするため、ユン先生と一緒にソウルへ。今回も安東駅から鉄道で清涼里までのんびりとした旅。バスより時間はかかるが列車の移動もいいものである。
イ ビョンチャン氏はとても美しい日本語でおはなしされる。天津の日本人租界で15歳まですごし、戦争が終わって韓国に戻られたのだそうだ。その美しい日本語は日帝時代に身につけられたのだ。歴史の証言を聞くようだ。日本語も美しいが、ご本人も凛とされていてとてもお美しい。
退職後に日本で天然染料による染めの技術を学ばれ、韓国で三十年教えられた方である。染色家というより、研究者と言ったほうがあてはまる。
ユン先生もこの方に習われたのだ。いまだにうまくいっていない私の藍染めの質問に丁寧に答えてくださる。
イ ビョンチャン氏とお別れして、聞慶の工房「ヌビジン」のお姉さんに紹介してもらったソウルの妹さんの工房を訪ねる。
三清洞のにぎやかな通りからちょっと入ったところにある韓屋。いい感じに韓国的な温かさに満ちている空間。なんかなつかしい布の白いチョゴリ。ヌビも温かい感じがする。足元の敷物にもうなってしまう。妹さんのお人柄があらわれているようである。
今回は収穫タップリのソウル。
2015・6・15
明紬 織元
慶尚北道 尚州はミョンジュ(明紬)の産地である。織元を訪ねた。ご主人は工場に案内してミョンジュの出来上がる過程をていねいに説明してくださった。織元が減少していく中、尚州の地で誠実にとりくまれているのを感じる。
今回の訪問の目的、ヌビ用のミョンジュを購入。入念に品物を選ぶ。
その日泊めていただくことになり、私たちのためにソウルから帰ってきた日本語の堪能なご子息に助けられて、ご主人とお話をする。いろいろと情報を得る。
私は朝早くに起きて動きますが、どうぞゆっくりお休みくださいとご主人はおっしゃったが、こちらもこのごろ朝早く目覚める。働き者のご主人は私が起きてくるまでに一仕事も二仕事も終えたように思えた。
2015・6・13
関門
工房ヌビジンから林檎畑をみながら道立公園の入り口までてくてく歩いてきた。「韓国人が行くべき観光地100選の第1位」という看板が現れる。へーそうなんだ。特産の林檎と五味子の作り物がなんとも。
ここに都にむかう大きな道が通っていた。関門が三つある。第三関門まで行けるだろうか。昨秋来た時は第一関門まで。
歩くのが遅くなっているのを感じている。早足で歩き回っても疲れを知らなかったのにとしみじみしながら進む。第一関門を抜けると渓谷沿いの木漏れ日の道になる。第二関門まで来るのがやっとだった。
聞慶は粉青沙器などのやきものをつくっているところである。窯元を訪ねるほどの時間も気力もなく、バスに揺られて帰ってきた。
2015・6・12
nubi JIN
聞慶に天然染料で染めている方がいるのでそこに案内しましょうと、ホさんは聞慶セジェ道立公園に入る手前の道を山のほうに向かってハンドルを切る。
「ヌビジン」という名の工房につく。ホさんのところの明紬を使って染めているらしくお友達って様子。気さくな女主人ジンさんと話しているうちに新たな展開が。あの京都のソムシでヌビの作品を展示されていた方のお姉さんだったのだ。ちょうど妹さんから電話があり、ソウルでお会いしたい旨を伝える。
チュフル山の山裾にある工房はおしゃれな造り。妹さんのヌビったものや天然染めのなかなかのデザインの服が並んでいる。こんな山の中なのにお客さんもけっこうみえている。
お忙しいのにここまで案内してくださったホさんとお別れして、さあ一日歩くぞと工房ヌビジンをあとにする。
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