2012・11・28
濱口梧稜
「稲むらの火」というのは最近よく聞いていた。津波が襲ってきたとき、稲藁に火を放って村人を安全な場所に避難させたというあの話。和歌山県有田郡広川町広がその場所である。そこに立ち寄った。
稲藁に火をつけて村人を津波からすくったのが濱口梧稜という人だとは知らなかったし、その人が明治新政府の駅逓頭という今で言う郵政大臣を務め、1885年、明治18年にニューヨークで66歳で客死したことなどもっと知らなかった。
「稲村の火」は1854年、安政元年11月に起こった大地震と津波のときのことであるから、濱口梧稜が35歳のときのできごとである。で、ただ稲藁に火をつけたというのではなく、その後の復興と防災を私財をなげだして行った人物なのである。知らなかった。家業、ヤマサ醤油。1853年、34歳で7代目を継いでいる。
濱口梧稜記念館を見学し、特選ヤマサ有機醤油を買った。
2012・11・26
民博へ
土砂降りの雨のなか、民族学博物館へ行く。車で1時間ほどなのでもっと頻繁に通いたいのだがなかなか。
「特別展 世界の織機と織物」をみる。興味深い展示で、足にひっかけてつくる藁草履から腰機、高機、もうあらゆる織機に織りかけの布がかかったまま展示されている。
むしろ機の筬が広島の実家の納屋にあったのを思い出す。秋の取入れが終わった後の納屋の土間で母親が俵を編んでいた姿もくっきりと頭に中にのこっている。俵を編むと言っていたが、縦糸と横糸というふうに考えれば俵を藁で織っていたことになる。あの道具はまだ納屋のどこかにしまわれているのだろうか。
本館のミュージアムショップでラオスの木綿の布を買った。綿を弓打ちして、手紡ぎした糸で織られている。糸の色もいいので気に入ってしまった。
2012・11・23
石原田園ギャラリー
『中谷省三 木版画展 アトリエ求里畝の仕事』が岡山の「石原田園ギャラリー」で11月23日から始まった。
岡山市の南部の田園地帯にあるギャラリー。何度かこのいい雰囲気のギャラリーで展覧会をやらせてもらっている。
木版画としては大きめの作品だがいい感じに収まった展示になった。12月4日まで。
2012・11・18
竹皐書院の工房
夜が明けるのがおそい。暗いうちに目が覚めて久しぶりの読書をしてみたりして、戸をあけるとなんと霧。あたり一帯がミルク色につつまれている。若いころのアン・ソンギが出ていた「霧の村」という韓国映画を思い出す。
竹皐書院のこの建物のオンドルの部屋で眠った。
工房の一日はあっというまに過ぎていく。
ユン先生がら「セクシルヌビ」を教えてもらう。6月に来たとき、ソウルでキム・ユンソンさんの展覧会に行き感動したあの「セクシルヌビ」である。
時間がかかるけど技法は簡単ですとユン先生はこともなげにおっしゃる。
夜勤明けのパクさんが疲れも見せずやってきてくださった。パクさんの手になるヨイチュムンの作品はなかなかのもの。
2012・11・16
全州
そのぶん冷え込んではいるが澄み切った空気の快晴の全州。教会にいく。フランシスコザビエルらによって韓国にキリスト教が伝えられている。
ステンドグラスを通過した秋の陽が柱を美しく染めている。
市内にある東学党の歴史博物館にいく。1894年、甲午の年に全羅道でおこった農民反乱である甲午農民戦争は、井邑で生まれた東学の指導者「全琫準」を総大将に戦った反封建、反侵略の農民蜂起である。
東学とは西学(キリスト教)に対しての言い方で、朝鮮独自の宗教。現在「天道教」としてうけつがれている。
入り口に「東学党の乱」を描いた映画のポスターがあった。観たいけど、日本には来ないだろうなこの映画。
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